31 1月 2014

WORDS.


人と話しているとき、「言葉に発してしまったら」と、よく思いとどまります。


だって発してしまった言葉は、どれも同じ重さに聞こえてしまうでしょ?

「言葉にすることが大事だよ」、なんて文句も慰めには聞こえなくて、
なんだかただの逃げみたいだ。

たしかに一見説得力があるように聞こえるけれど、
かといって事あるごとに、「言葉にできない○○」なんて物事を形容しようものなら、
それは言葉にすることを放棄したも同然

そんなこと、御免だ

だったら背中で語るオヤジ美学にでも心酔してればいいじゃないか

だからわたしは意地でもその得体のしれない感情に、言葉を見つけたい
行き場のなかった感情に、言葉でこれでもかと、レッテルを貼りつけてやりたい

と、最近よく思います



演劇に関わっている人たちは、【真っ赤な焔】を持った人が多い
わたしは、拙い表現だろうと一生懸命言葉にしようとする彼らといると、
ふだん緊張感でガチガチになった心がちょっと軽くなって、
フタをしていた感情をチラッとめくって少しだけかまってあげられる自分になっています
おまけにときどき、感情がフタからあふれ出して手が付けられなくなったりする、
ほんのほんの、たまに

でも、そうなるのは大抵わたし以外の人で、彼らの熱さを目の当たりにする度に、
すごいな、と思うのもそうだし、でも
「あゝ、わたしは人前じゃこうはなれない」とやけに冷静になるのも、またそう

軽々しく言葉にすることはしたくない
思いついたままに勢いだけで物事を話そうとすることも、したくない

こんなんだから大概は冷めてるようにみられるし、やけにおとなしい子だと思われる
冷めてはいないしおとなしくもないから、人様の意見にいちいち気を留めてはいないけど



でも、雁字搦めのわたしでも、「伝えたい」衝動にはよく駆られる
そのときに必要になるのが、「『言葉にできない』言葉を文字にすること」

言葉を発することは、
思わぬことで人をすぐ傷つけられるからとってもリスキーなようでいて、
いざ大事なことを言おうとしても、それが大事なことであればあるほど
伝えたい想いの重さに、発言は押しつぶされがちだ

発してしまったら取り返しはつかなくなるし、
かと言って言ってしまうと出された言葉の破片はすべて同じになってしまう
どのピースをはめてもたぶん、何かは完成する、しちゃうんだ

でも、だからこそ、「言葉にできない」で言い逃れしている奴らを、
わたしが文字にしていかないとって、
そんなことを演劇をするたびに、汚い感情を目の当たりにしながらいつも感じます

もちろん、写真はわたしにとって大事な表現ツール
でも、何もかもを均一に写すことをよしとする写真はそもそもキャプションに頼って発展してる
キャプション、つまり文字がないと写真は撮影者の意図のままに存在しえない
堂々巡りから抜け出す方法は、言葉にすることしか、ないみたいなんです


わたしは何かを形にできる人が好きだから、わたしはそうでありたい。
語りかけるよりも、作った何かで伝えたい人の心を鋭利な刃先で突き刺したい。
まわりまわってオヤジの美学なのでしょうか?これ


そんなことを想う、公演一週間前です。



今年初めてのブログになってしまいました、1月さん、ごめんね

ここのブログに関して、来年度の方向性はまだ未定です
(VOGUEgirlブログの方は変わらず更新していきます)

というのも、もちろん書くことは続けていきたいけれど、いつまでもブログだけにとどまっているわけにもいかないのかもしれないと、薄々感じるようになってきました
自分がすこし、うずうずしているんだと思います
なので、もう少し、もう少し、待ってもらえると嬉しいです

遅くなってしまいましたが、今年もとびっきりな一年でありますように

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