11 3月 2012

ONE YEAR LATER


After the farewell party.
On 11th March at Mcdonald's in London

やっぱり、寝ぼけまなこでBBCを見たときの衝撃は、一年経ってもどう表現すればいいか分からないままです。どんなに衛星放送にかじりついても、どんなに友達と情報収集に躍起になっても、いくら手を伸ばしたところで画面の向こうに行けないことが虚しかった。というか怖かった。自分の無力さはわかっちゃいたけど、実際に、ほんとうになにもできない。メールが届かないんだもん、「がんばって」すらいえなかったよ。ただただ傍観して、幼稚園児のときみたいなお祈りするだけ。
空席ばかりの帰りのフライト、動かなかった成田エクスプレス、バスからおりたときの新宿の薄暗さ、下を向いてる道行く人たち、ヨーグルトが一人一個しか買えないスーパー。よく知ってるはずなのに、知らない街に帰ってきたみたいだった。

思い返せばそんな状況だったから、「あの震災から学んだこと~」なんて結果論でかつ、綺麗事でしかないのだけれど、いま考えれば、この一年で“「またね」の「また」なんてどこにもない”ってことの意味を自分なりに消化したんだと思う。だからどうしなきゃいけないのか。それに気づいたらするべきことは単純明快だったけどね。
まっさきに思い浮かんだのは小学校2年生の教科書に載ってたハンス=ウイルヘルムの「ずうっと、ずっと、大すきだよ」。 「僕」みたいに、好きなときに好きってきちんと言葉にすること。後悔しないための予防線でしかないのかもしれないけれど、私はいまこう思ってるんだよってきちんと伝えていくこと。

人と話してて、目を見て話せると、それだけで、あぁ幸せだなって思う。笑ってくれてると更にうれしい。なんであんなに嬉しいのかな、純粋にもっとみせてっていいたくなる。きちんと反応が返ってくるのもうれしい。相手もそう思ってくれてるといいなって思う。そんなサイクルのくりかえし。
逆もまたしかり。言葉にして文字にして人から伝えられると、ひっかかってた不安もあっという間にどっか吹っ飛んでく。本当にスーって跡形もなくどっかに消えてっちゃう。

恥ずかしいからってそっちに予防線をはってたら、言わなかったことをあとあときっと後悔する。
10歳のときの後悔を教訓にするのには、気づいたら10年もかかっていました。十年一昔というだけあって、時間のもたらす変化に抵抗はできなくて、さまざまなものを手に入れては失って。10歳だった自分は20歳になった。環境も考えも性格も…言わずもがな、か(笑)ものごとはすぐ、“変わる”“変わらない”って概念にくっつけられがちだけど、いくつになってもいつまでたってもきっと自分は自分。いろんなものがくっついては離れてまたくっついて、なかなか幸せです。

世界はきっともっと広いし、きっともっとやさしい刺激がたくさんあると思う。
だからいまはもっと、もっと自分を解放してあげたい。24時間を暑苦しくルーティンしていきたい。
そりゃ、数打ってるから当たりは多くなったけど、そのぶんハズレも多い。この一年、一回だけ行動したことを後悔した日もありました。そんなときは“I wanna die!”としか思えなくなるけど、でもそこから学んだこともあったからこそ今はちょっと先に進めてる。

「これから先たくさんの人に出会うだろうけど、その人のいいところを見なさい」
12歳だったわたしにそういってくれた塾の先生。
「you have a lots to give the world.」
先日私の写真を見てそういってくれた高校の先生。
いろんな人のいろんな言葉が、気づいたら日々の糧になっている。日本語には暗黙の美みたいなものがあるけど、その人の耳に直接届けてあげたら、きっとその方が素敵だと思うんです。

やりたいこともいいたいこともやるべきだしいうべき、
そんなシンプルなことに気づいて行動にうつすようになった一年だったように思います。

きっかけも結果も抜けてるところが多いから、むずかしいことはわからない。でも、一瞬一瞬を目かっぴらいて見届けていきたいの。この一年も、そのつぎも、忘れたくない出来事をたくさん抱えていきたい。そんなことを考えながら、そっと一日過ごそうと思います。

by Midori 11/3/2012

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