11 9月 2011

9.11





4年前の冬にNYへ行く機会があり、その際グランドZEROへいったことがあります。




ウォール街を抜け、広場に出て右そばにポッカリと空いた所に、人が途切れることなくその場を見つめ、祈りをささげていた場所がありました。作業ネットに囲まれて、無機質な場所。
当時高校1年生だった私は、できるだけグランドZEROが見えるところへ、できるだけ上から、と思い食い入るように跡地をみつづけたものです。それでも、そこから上を向くことは怖くてできませんでした。なにもできず、ただただ、みつめただけでした。

世界中の人を恐怖のどん底に突き落とした悲惨な同時多発テロから10年が経ちました。

イアン・ソープ(プロスイマー)が当日世界貿易センタービルへ行く用事をキャンセルしたそうです。父の働いていたビルがWTCのすぐそばにあったそうです。家族でリアルタイムでテレビから目をそらせず、当時の私はもちろん恐ろしく感じましたが、それよりもまず、どうしてこんなことをできる人がこの世界にいるんだろう、と幼心に不思議に思ったものです。10年経ったいまは、どうしてこんなに思うのかわからないほど、私はあの事件を思うと悲しくて悲しくてたまらなくなります。

私生活で楽しいことがたくさんあった2001年と、9.11とが同じ年なのかと思うと、ついうっかり時間感覚が鈍ります。数字の上では本当に10年経ってしまったのだなと思わずにはいられません。私が10歳になってから13日後のことです。


同時多発テロ後、アメリカでは観光客が激減、その後のイラク侵攻、日本のイラクへの自衛隊派遣、イギリスのTubeで起きた爆破テロ、アメリカ軍のオサマ・ビン・ラディン殺害…。世界が「貧困」という根本の問題に目を向けず経過したこの10年で、世界は確実に暗くなってしまったように思います。そしてそれは、私が年をとったということだけが原因ではないと思います。

アメリカの力が衰え始めているのは誰の目にも明らかかです。中国があらゆる面で力をもつようになりました、インドもしかり、産油国しかり。情勢は10年前とは比べ物にならないほど複雑化した、と。THE 多極化です。
そして、今回の東日本大震災、絶えぬ自然災害、歴史的円高。今の日本にも暗い影が覆いかぶさっています。敵は違えど、まるで10年前のアメリカのような印象を受けてしまいます。


私の知る限り、NYは刺激的な街です。ロンドンはおだやかで過ごしやすい街です。大好きです。
でも、ひとたびコトが起こってしまったら、安全な場所なんて存在しないのかもしれない。

私の憧れの街だって、いつ戦場になるかわからない、そんな脆い儚い場所なのかもしれません。
民主主義とは相手が自分より優れているかもしれないと認めることにある、とどこかできいたことがあります。国を動かすのは政治家で、政治家を選ぶのは国民で、国民を作るのは国民自ら。屁理屈みたいだけど、私たちが他人を敬わないことにはなにも始まらないのかもしれません。
そしてそんな悠長なことを言っている間に、グローバル化、ボーダレスな世界が進む先に、「国」に代わる何かが生まれるかもしれません。ほんの一瞬の判断が命取りになる、のかな。

ときどき古い時代を知っている大人が羨ましくなります。人々が「上を向いてある」いている時代。
今は上を向いたところで見えるものが何かわからなくなった時代に突入してしまった気がします。
想像を絶する悪夢を見る日がくるかもしれません。銀河の向こうからスターシードを狙って敵が攻め込んできてもおかしくないじゃないです(本気)。

でも、
鉄腕アトムが生まれた21世紀、ドラえもんが生まれた22世紀、ちびうさが生まれた30世紀。
(ちなみにセーラー戦士は成人すると一切老いないそうなので、平均寿命が1000歳らしい。ちびうさは900歳です。セーラームーンはちびうさを22歳で生んでいます。)
とにもかくにも、きっと、ぜったいに、明るいことは起きるはずです。
時間はそのうち巡ってくるけれど、それだけじゃなく自分から行く力をつけていきたいもんですな。
いつかはくるであろう未来をくつがえすために!

先日のビタミンMにて解禁された新曲「Buddy」を聴きながらそんなことをふと、思いました。
まずは、自分のことをきちんと。そっからじゃないと、はじめないと。